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東日本大震災から1年半後の宮城・気仙沼の街を歩く

2011年3月11日…そう、忘れもしない東日本大震災の日ですね。東北沿岸部は津波によって壊滅的な被害を受けました。

その惨劇から1年半ほどたった2012年8月14日。津波の被害を大きく受けた場所の一つである宮城県気仙沼市まで足を運びました。

そのときの生々しい様子を、実際に撮った当時の写真とともにお伝えしていきます。

※写真は衝撃的な内容が多く含まれるため、閲覧の際はご注意ください

津波によって壊滅的な被害を受けた気仙沼の港町

2012年8月12日の午前11:00頃、この日のスタートである気仙沼駅に到着。気仙沼駅周辺はそれほど震災の爪痕は見当たりません。

1年半経って復旧作業も順調に進んでるんだなと勝手に思っていました。それが単なる表面的なものであることは知らずに…。

港町方面へ向かうために、駅前のレンタルサイクルへ。自転車と紙の地図を受け取ります。

そのとき、レンタルサイクル店の方が「港の方は紙の地図だと役に立たないかもよ」と一言。最初はその意味がよく分かりませんでしたが、後に身をもって知ることになります。

自転車に乗って、南気仙沼駅方面の港町へ向けて進んでいきます。南気仙沼駅に向かうにつれて、壊れた建物が増えていきます。

津波によって倒れたであろう船着き場を見る鳥さんと出会います。

この倒れた船着き場を見て、何を思うのでしょう…自然の力はときとして残酷なものです。

さらに沿岸部へ足を進めると、津波の凄まじさをより強く感じられます。

パチンコ屋も骨格だけ残して無残な姿に…津波の威力がいかに凄まじかったかが伝わってきます。

四階建てほどの建物でしょうか。津波によって最上階までえぐり取られています。

高所に位置する案内標識もひん曲がってしまっていますね…。

津波の高さが想像を絶するほど、とんでもなかったことを物語っています。

沿岸の街並みは津波によって壊滅的な状態に…。

その被害の大きさにしばらくショックを隠せませんでした。その場から動けませんでした。それだけでなく、人の姿も声もほとんどなく、あたりは怖いくらい静まり返り、まるでゴーストタウン状態に…。

東日本大震災は気仙沼の港町から建物や人々を奪い去ってしまったのです。

南気仙沼駅も津波によって甚大な被害を受けていました。当然ながら、そこに電車が走る姿はまったくありません。

辛うじて、プラットホームは残っていました。そこに南気仙沼駅があったことを物語っています。

そして、津波で流された車や家電が、無残にも山積みにされていました。

想像を絶する現実を突きつけられるたびに、ショックでその場その場で動けなくなってしまいました。

人の姿も声もほとんどなく、あたりは怖いくらい静まり返り、まるでゴーストタウン…東日本大震災は気仙沼の港町から建物や人々を奪い去ってしまったのです。

先のレンタルサイクル店でいただいた地図を見ても、自分がいまどこにいるかさっぱりわからないのです。

それぐらい、この気仙沼は甚大な被害を受けたということがお分かりいただけるかと思います。

まとめ

今回は震災から1年半後の気仙沼で見た光景を、写真とともにお伝えしてきました。いかがでしたでしょうか。

実際に東日本大震災の被災地へ足を運んでみると、僕らがテレビ越しで見ていた光景はほんの一部でしかないんだなということも、改めて実感しました。

今日も東日本大震災の復興は終わっていません。僕も大好きな東北の方々のためにできることを微力ながらしていきたいと思います。

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